鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに10

 前回のエントリーを読み返してみて、伝えたい気持ちばかりが先走り、論旨が散漫な上に過度の説明不足が重なって、その最後には半ば無理矢理締めくくってしまい、結局、読みにくい上に何も伝わらない文章となってしまいましたorz。老師の言葉を「ノーパン・しゃぶしゃぶ」につなぎ、無理矢理「言葉の重み」で締めくくる自らのそのセンスのなさ、潔く、ここは連作・長編にして説明の順を踏む事を決断できなかった、昨日の自分のその判断力のなさに、かなり自己嫌悪しつつウンザリしています(´・ω・`)。それでも、この誰かに伝え知らせること自体は、再び、こうして書いている以上はやはり止められそうにありません。どうか皆様には、どうぞよしなにm(__)m。

 先のエントリーでも書きましたが、私が師事した老師は、故郷である中国において共産主義革命以前、共産主義革命とその後の大躍進や文化大革命のその渦中、そしてそれより以後、勝g小平の「改革解放」のその頭の辺りまでを実体験し、その惨憺たる動乱と混乱の時代を潜り抜けてこられた方であり、「改革解放」までの荒み、そして、さらに腐敗と汚職にまみれて行く故郷に絶望し、過去に渡米の経験を持ちながらもそれよりも我が日本国を選択され、ついには帰化されました人物です。当然その教えは、過酷な状況下での食うか喰われるか、文字通りのサバイバルの実体験を持ち、それでもなお、以前に伝えられていたいわゆる「道」の教えを、ついには自らの中で守り抜いた方です。

 本当の修羅場を経てもなお、それでも老師の中に残り続ける事のできたその「道」の教えは、非常に実践的であるのと同時に、それでもなお、人の歩むべき「道」を外れる事無く、あくまでも人として生き、そして人として来るべき死を迎える事こそを「至上」とした教えであるように今の私は思います。ようやく近年、その「道」を、人が当たり前のように人生をかけて当たり前のように全うする、そうする事のできるその社会こそが、いわゆる「楽園」と人が呼ぶその世界そのものである事に気付き、もしくは、そのひとつの境地に何とかたどり着いたように今、私自身は思っています。ま、偉そうには書いていますけど、結局、「楽園」のその概念は千差万別、人それぞれですから異論は様々ありましょうけど、ま、そんなヤツも居る、ぐらいに思っていただければ(笑)。

 老師の言葉で一番印象に残っている言葉といえば、繰り返し私にいわれた


考えなさい。もっと考えて


というものなのですが、ま、自他共に認める不肖の弟子でしたし、今も、それにはあまり変わりがありませんので、これは当然といえば当然なのですけど(笑)。もう一ついえば、それは


流れを見なさい


という言葉です。物事には原因があり、結果がある。その物事の起点と終点までのその流れ全体を、その道筋を読む。そういった意味合いで頻繁にいわれた記憶が私にはあります。その中で、どこかで必ず流れが滞り、水の濁る、或いは人の心や物事のその本質の歪む原因が何事に付けあるわけです。それを見出すためには、結局、まず俯瞰して、その「道筋」なり「流れ」なりの全体を把握せねばならないわけです。細かい出来事を繋いで、全体像を把握するわけですね。そうする事で、一面にだけとらわれない、ミスの極端に少ない選択が可能となるわけです。

 ミスは完全にはなくなりません。どれほど完全に近くても、けしてゼロにはなりません。なぜなら滞り、変化を拒絶した水が濁り、そして腐るように、


必ず人の心は腐る


からです。で、あるからこその


常に心は水のごとく在れ


であり、その水が腐らぬようにせんがための


常に考え、選択し続ける水で在れ


であるわけです。人の作り出す制度に不備はあれども、それは問題の根本ではありません。その制度を運用する人が、その心が腐るから、その結果として、その制度自体が腐ったように見えるだけです。常に間違いを認め、その間違いを正してゆく事を繰り返せば、制度は、自ずとより完全に近づくわけです。しかし、人の手によるものである限りは、その不備は必ずなくなりません。


その「道」は遥か遠く、「流れ」は巡る


 ………それゆえにこその「水」であり、老師のその「教え」であった、と今の私は考えているわけです。

 老師のその「言葉の重み」を思い返すたび、鳩山内閣や与党、そして野党の、官僚ら、公務員らのその「言葉の軽さ」が私には目に付きます。それに従来マスコミや、経営者やら、その他諸々の指導者層の連中の誰も彼もが、バブルの記憶に取り付かれ、未だ、そこから抜け出る事が出来ないままに踊り続けるその姿は無様以外の何物でもありません。………ただし、我が日本国における治安と安全、真の平和とその繁栄のために日々奔走されている方々は別です。彼らこそが、我が日本国におけるささやかな希望であり、同時に、未来へのその道標ともなるべきであるわけですが、一方で、総じて彼らには欲望が少ないのが玉に瑕です。世の中、上手くいかない事をシミジミ想う今日この頃。ではm(__)m。